「琉球の思い」を未来へ紡ぐ ー ものづくりがつなぐ過去・現在・未来
2025.02.25
いつも好奇心を持って紅型を見ていただき、本当にありがとうございます。
紅型を通して琉球文化が伝わっていくことに、心から感謝しています。
私たちの工房では、「ものづくりを通して琉球の思いを守り、仕事を通じて心と財布を豊かにし、未来の沖縄を守る」 という経営理念を掲げています。これは、私が16代目として工房を継いだ際に、改めて言語化した目標です。
伝統工芸の世界で「経営理念」を掲げることは少ないかもしれませんが、これは私自身が工房の未来を考えたとき、どうしても必要な指針だと感じたからです。 12年前に代替わりしてから試行錯誤し、理念を作り、何度も修正を重ね、最終的にコロナ禍を経て現在の形に落ち着きました。
この理念の中には、過去・現在・未来 という時間軸が組み込まれています。
🔹 過去:「ものづくりを通して琉球の思いを守る」
沖縄は小さな島国ですが、中国や日本という大国に挟まれながらも、独自の文化を築き上げてきました。 その背景には、ただ自らの文化を守るだけではなく、周囲の文化を尊重し、柔軟に取り入れながらも、沖縄らしさを失わずに発展させる という、島国ならではの生存戦略があったのではないかと考えています。
日本において沖縄は、アジアの玄関口 として、多様な文化が行き交う場所でもありました。紅型の歴史を振り返ると、14〜15世紀頃に中国や東南アジアとの交易を通じてインド更紗やジャワ更紗の技法が伝わり、それが琉球独自の気候や文化と融合し、今の紅型へと発展していきました。つまり、紅型は 外からの影響を受け入れながらも、琉球の美意識と魂を込めて作り上げられたもの なのです。
そして、祖父の時代に思いを巡らせると、その紅型が最も危機に瀕した時期がありました。祖父・城間栄喜は、38歳で終戦を迎えました。 焼け野原となった沖縄で、祖父はすぐに避難生活を強いられましたが、終戦からわずか2年後には、戦後の荒廃の中で紅型の制作を再開していました。




それは、生きるため、食べるための行動だったのでしょうか?
私は、それ以上に「琉球の文化を絶やしてはならない」という強い使命感が、祖父を突き動かしていたのではないか と思います。
琉球の王族や士族に愛され、神事や礼服としても使われてきた紅型。祖父の目には、それが消えゆくことは、琉球の誇りが失われることと同じように映ったのかもしれません。沖縄の歴史の中で、戦争や時代の変化に翻弄されながらも、それでも 紅型を絶やさず、次の世代へとつなぐために祖父が立ち上がったことは、まさに琉球の魂を守る行為 だったのではないでしょうか。
この祖父の思いは、父・城間栄順へと受け継がれ、そして今、現代を生きる私達へとつながっています。
「ものづくりを通して琉球の思いを守る」
🔹 現在:「仕事を通して心と財布を豊かにする」
私たち職人にとって、伝統を守ることは使命ですが、それだけでは未来へと繋げることはできません。ものづくりを生業とし、職人たちが安心して技を磨き続けられる環境をつくること。それは、単なる経済活動ではなく、琉球の思いを受け継ぎ、次の時代へと橋をかけるための大切な基盤です。
琉球王国の時代、紅型は王族や士族の衣装として、そのデザインや色使いが細やかに研究され、職人たちは高度な技術と表現力を求められました。時代が変わっても、その姿勢は変わりません。紅型が今の暮らしの中で必要とされるものになるために、技術を磨き、表現を広げ、時代の感覚と響き合うものづくりを続けること。それが、今を生きる私たちの責任であり、誇りです。
こうした思いのもと、工房では国内外の文化に触れる機会を大切にしています。日本民藝館や台湾故宮博物館、アメリカのスミソニアン博物館を訪れたこともその一環です。スミソニアンでは、40年前に紅型を制作した職人とともに収蔵庫へ赴き、若手からベテランまでが一堂に会して、かつての作品に向き合いました。その経験は、単なる見学ではなく、ものづくりの歴史と未来をつなぐ、大きな意味を持つ時間となりました。




また、台湾への旅も印象深いものでした。職人仲間とともに異国の風景や文化を感じ、琉球とアジアの繋がりに思いを馳せることができました。かつて琉球王国は、東南アジアの国々と交易を重ね、独自の文化を育んできました。その姿勢は、今の私たちにも強く響きます。外の世界と繋がりながらも、沖縄の土地に根ざしたものづくりをする。それは、琉球の時代から脈々と続く精神であり、私たちが受け継いでいくべきものなのです。
紅型の美しさは、単なる技術の継承ではなく、職人一人ひとりの感性が磨かれ、積み重ねられることで生まれます。旅や出会い、文化の交流を重ねることで、私たちは伝統の奥行きを広げ、未来へと繋げていくのです。
琉球の人々は、かつて海を渡りながらも、地に足をつけ、独自の表現を育んできました。私たちもまた、世界を感じながらも沖縄に根ざし、時代の流れに沿ったものづくりを続けていきたいと思います。それこそが、琉球の精神そのものだからです。
「仕事を通して心と財布を豊かにする」
🔹 未来:「未来の沖縄を守る」
紅型を次の世代へと受け継ぐためには、技術を守るだけではなく、沖縄の暮らしや心の豊かさとともに育んでいくことが大切です。紅型がこれからの沖縄の風景に自然に溶け込み、時代の変化とともに進化しながらも、その美しさを変わらずに持ち続ける。そんな未来を願っています。
しかし、それはまだ実現したものではなく、私自身の願いにすぎないのかもしれません。祖父や父が歩んできた道を本当の意味で理解し始めたのは、つい最近のことだからです。時間を重ね、家族を持ち、工房を受け継ぎ、日々ものづくりと向き合う中で、ようやく父が守ろうとしていたものの本質が見えてきました。大切なことは、経験を通して少しずつ心に染み込んでいくものなのかもしれません。
だからこそ、次の世代に「このままの形で受け継いでほしい」とは思いません。大切なのは、紅型とともに生きる豊かさを感じ、自分たちの感覚で未来をつくり出すこと。私たちはただ目の前のものづくりに真摯に向き合い、積み重ねていく。その姿を見た若い世代が、それぞれの時代に合った紅型を生み出し、新たな価値を見つけていくことを願っています。
そして、未来の沖縄を守るために、私たちが取り組むべき課題はまだまだたくさんあります。しかし、その先には、これまでにない新しい紅型が生まれていくワクワク感もあります。伝統とともに歩むからこそ、未来の「古典柄」が生まれ、琉球の歴史を感じながらも、今の時代に寄り添うデザインが生み出される。
祖父が戦後復興の中で紅型を守り、父が着物の世界へ挑戦し、そしてそこに至る道のりの中で、新しい挑戦を積み重ねながら、少しずつ未来へと歩んできました。
この流れの先に、琉球を感じながらも新しさを持つ、これまでにない紅型が生まれる。そんな予感と期待を胸に、私たちはこれからも紅型を未来へと紡いでいきます。
この理念は、私自身が工房を継ぐ前に、父や先輩職人たちと何度も対話を重ね、歴史を振り返りながら作り上げたものです。 コロナ禍を経験したことで、どんな時代の変化にも負けない 「私たちが過去から積み重ねてきたものを大切にしながら、未来へとつなげていく」 という強い意志を改めて確認する機会にもなりました。
「未来の沖縄を守る」
ここまでご覧いただき、心より感謝申し上げます。
紅型を通して、琉球の文化や思いが少しでも皆さまに伝われば幸いです。私たちは、過去から受け継いだ技を守りながらも、今を生き、未来へとつなげていく責任を持っています。それは決して「古いものをそのまま残す」ことではなく、琉球の精神を大切にしながら、新しい時代に寄り添う形へと進化させていくことだと考えています。
紅型の色彩が、これからも沖縄の暮らしに息づき、人々の心を豊かにし続けるように。これからも、ものづくりを通して琉球の思いを紡ぎ、沖縄の未来を支えていけるよう精進してまいります。
どうかこれからも紅型の世界を楽しみ、見守っていただければ嬉しいです。ありがとうございました。











城間栄市 プロフィール
- 昭和52年 沖縄県に生まれる。城間びんがた工房15代 城間栄順の長男。
- 平成15年(2003年) インドネシア・ジョグジャカルタ特別州にて2年間バティックを学ぶ。
- 平成25年 沖展正会員に推挙。
- 平成24年 西部工芸展 福岡市長賞 受賞。
- 平成26年 西部工芸展 奨励賞 受賞。
- 平成27年 日本工芸会新人賞を受賞し、正会員に推挙される。
- 令和3年 西部工芸展 沖縄タイムス社賞 受賞。
- 令和4年 MOA美術館岡田茂吉賞 大賞を受賞。
- 令和5年 西部工芸展 西部支部長賞 受賞。
- 「ポケモン工芸展」に出展。
- 文化庁「日中韓芸術祭」に出展。
- 令和6年 文化庁「技を極める」展に出展。
現在の役職
- 城間びんがた工房 16代 代表
- 日本工芸会 正会員
- 沖展(沖縄タイムス社主催公募展)染色部門審査員
- 沖縄県立芸術大学 非常勤講師
- 沖縄大学 非常勤講師